コミュニケーションって難しいですよね。
同僚や友人、お客様に発した一言。家に帰ってから「あの言い方でよかったのかな」と何度も考えてしまうことってありませんか?
私が先日、初対面の人に「感じ悪い」と言われた日も、そうでした。ただ、その場では、自分でも意外なほど、心に残らなかったのですよね。
ムカッとしてもいい一言だと思うのですが、不思議と平気だったのはなんでだろう・・?自分の選んだことに納得していたからかな?そんなことを考えたのでちょっと書いてみます。
お弁当屋さんの列で、知らない人に声をかけられた
先日、お惣菜を買おうと、お弁当屋さんの列に並んでいました。
買いたいものは決まっていました。好きでこれまでにも何度も買ったことのある商品です。ただ、並んでいる間は、その日その商品があるかどうかもわかりません。順番が来て、買えたらいいなと思っていました。
すると、後ろに並んでいた知らない人から、声をかけられました。
「このお店、何が美味しいんですか?」
このお店、唐揚げが美味しいのです。なので、お店の看板にはそのように書いてあって。
CHIKA見ればわかりますよね・・
と、心の隅っこで思ってしまった意地悪な私。
会話を広げたくなかった
最近、このシチュエーションで知らない人から声をかけられるというのもなかなかないので少し驚きました。
私はとっさに気の利いた一言も出ず、「うーん、どうなんでしょう??」と、一言だけ返しました。
すると、「ここで買ったことないんだ?」とお相手が。
買ったことがあるどころか、好きな商品を買いに来たので、事実とは違います。ここで「そうなんです」とでも言って会話を閉じればよかったのかもしれません。でも、相手の推測で違うことを言われたので、つい「そういうわけではないんですが……」と反射的に答えてしまいました。
更に、「何を買うんですか?」と。
まあ、素直に「〇〇を買おうと思ってます」とだけ伝えればよかったのかもしれません。
しかし、「なぜこの人に、自分の買うものを言わなければならないのだろう?」という気持ちが、つい前面に出てしまいました。なぜなら、とても苦手なタイプの人だったのです・・同時に、「ああ、私は心が狭いなぁ・・相手を選んでいるなぁ・・」とちょっと申し訳ない気持ちにもなってしまいました。
こちらの表情や様子は、あまり受け取ってくれていないのかもしれない。つまり、ノンバーバル(非言語)な部分は感じ取ってもらえない相手だ・・そう思って、これ以上は深入りされたくない、と思いました。
その返答として私は、
「いろいろあるので、ご自身で是非見てみるといいですよ。 私は買うものは決まってますので……(本音:これ以上聞かないで)」
あーー・・!!
これはまた余計な事を言ってしまったかも?でも、ちょっとした心の声が思わずポロっと漏れてしまった。
そして、その結果・・目の前のその人から吐き捨てるように「感じ悪い!」と言われました。
「余計なことを言わない」と決めていた



実は私、言わなきゃいいのに余計な一言を言ってしまって、結構失敗しているのです。
だからこの時は、「なるべくモノを言わない」ことを意識していました。嘘は言わない。悪口も言わない。そのうえで、これ以上は踏み込まないでほしい、という線を引く。
自分では、それができたつもりでしたが最後の最後で心が勝ってしまった・・!
その場では、何も残らなかった
「感じ悪い」と言われて、驚きはしました。まったくの初対面の人にそう言われた経験が、今までなかったからです。
でも、不思議とショックは受けませんでした。その場では、心にも残りませんでした。
普段の私は、人の一言が引っかかりやすいほうなのですが、自分でも意外でしたねえ。
家に帰ってから、いろいろ考えた
ところが、家に帰ってからは、いろいろ考えました。
「やっぱり、まずかったかな?」
「こういう言い方をすればよかったかな?」



突き放した言い方に聞こえたかもしれませんし、実際、相手を拒否する感じが態度に出て、感じが悪かったのかもしれません。
とくに、最後の「私は買うものは決まってますので」は、余計な一言だったかなぁ・・と反省。余計なことは言わないつもりでいたのに!
なぜ、その場では残らなかったのだろう
理由がはっきりしていて、実は自分の判断に納得していたからだと思います。
「なぜこの人に、自分の買うものを言わなければならないの?」という気持ちは、その場で、私の中にちゃんとありました。理由が自分の中にあると、言われた一言は、思っていたより刺さりにくいのかもしれません。
ただ、それだけではない気もします。
ひとつは、知らない人だったこと。もう会うこともないかもしれない人なので、「感じ悪い」と言われても、あとに続くものがありません。友人や職場の人に言われたら、同じようにはいかないと思いますね。もっと引きずると思います。
もうひとつは、嘘も悪口も言わなかったこと。後悔する材料が、少なかったのかもしれません。
どれが決め手だったのかは、1回の経験だけでは何とも言えませんが。。
「感じのいい人」でいなければ、いけないのだろうか
この「感じ悪い!」という一言で考えたのですが、そもそも「常に、誰にでも感じよくいなければいけないのだろうか」ということ。
人から感じよく思われるのは、悪いことではありません。私も、できれば気持ちよく人と接したいと思っています。
でも、「感じよく振る舞うこと」と「自分の望まないことまで引き受けること」は、同じではないと思うのです。
医療の現場に立っていた頃にも、「いい人でいなければならないのだろうか」と常に思っていました。



患者さんからの暴言や、理不尽な要求もあったからです。これはセクハラでは!?!?ということも多々。
そういうときは、いい人である必要はなく、毅然とした態度で、こちらのスタンスを伝えるべきですが医療者という立場は実は弱いと思っていて、「患者さんは体調が悪いのだから、吐き出された暴言も受け止めるべし」という空気はどこの現場でも暗黙の了解としてあるのではないでしょうか。
ある程度は必然的だと思うのですが、度を超えるとこちらも人間なのでどうしても感情があらわになってしまったものです。(反省・・)
今回のお弁当屋さんの列での話は、それとは重さがまったく違います。それでも、根っこにある問いは、同じだったのかもしれません。



話しかける自由があるなら、広げない自由があってもいいのでは?
「相手を選んでいるな」と思った自分も、いたことは事実です。それも含めて、そのときの私。
更に、相手がどう感じたか?を、私がすべて引き受けることはできません。
お惣菜の事をきっかけに世間話をしたかった相手の要望を私は叶えてあげられなかったのだとしたら、私がさっと買い物だけ済ませて帰りたいという要望を叶えてくれなかった相手、ということになります。
なので、ここは完全なるすれ違いということで自分の中では終止符を打つことが出来ました。
振り返ることは大切です。でも、振り返ることと、いつまでも自分を責め続けることは、違うように思います。
言い方は、次に生かせるかもしれない。それでも
最後の一言は、次に似た場面があれば、もう少し柔らかく言えるかもしれません。
それでも、あのとき話したくなかった気持ちまで、否定しなくていいと思っています。
「感じ悪い」と言われたことも、少しずつ記憶から薄れてきました。



人との距離や、物事の見方について、色々なことを考える毎日です。
こちら↓は人との距離や、物事の見方について、別の角度から書いた記事です。是非お読みください。












