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「諦める=明らかにする」仏教から得た人生のヒント

お寺とお坊さん

お寺で過ごした数年間

私は昔、お寺で数年過ごしていたことがあります。

その数年間で本当に沢山のことを教わり、今となっては感謝しかありません。

そして、沢山教えて頂いたことが後の生活に大きな影響を与えています。その中でも、住職さんから聞いた「諦めるというのは明らかにすること」という言葉は特に私が持っていた固定観念を大きく変えてくれました。

凝り固まったモノ-固定観念を作った原因

基本的に仏教は生きている人のための教えなので、

いかに心軽く楽しい毎日を過ごせるようにするか・・・という智慧が満載なのです。その考え方を知らなければ、多分今のように心軽く生きてはいなかったと思います。

特に、その頃私はリウマチで寝たきりの状態をやっと抜け出し、その後はたて続けに両親を亡くし、その他諸々色々な事が重なって、心が折れる寸前でした。

こんなふうに困難が続くと、その時期に良くない固定観念が積もっていくと思います。

住職さんに感謝

そんな時に、よく「ここに住んでいいよ」と言ってくださったな・・・この住職さんは・・・と今も不思議でなりません。

しかも、まだこの時期は痛みのウェーブが定期的に来て動けない日もあり、掃除も炊事もしっかりできないのに口だけは達者という相当厄介な人間で。。

人の悲しみや辛さに対してとても疎く、効率だけを常に考え、余分なものはできるだけ排除しようとして結局カラまわりに終わる・・という、今考えたら恐ろしいです。

今思えば、自分の状態に気づかないまま、他人に背を向け頑なだったとしか思えません。

心を楽にする「諦める」の本当の意味

ある日、指が上手く動かずお掃除が上手くできない日がありました。

お掃除は「心もきれいにできる」という貴重な時間なので、やりたい気持ちはあります。

CHIKA

でも、できない。

その日はお掃除を「諦め」なければなりませんでした。

そして何日もそれが続くと、一緒にお掃除の担当になっている人に申し訳ないと思ったり自分だけができないので後ろめたくなったり。上手く動かない指を恨んだり。

でも、そんなことを住職さんに話すと・・・

住職さん

「諦める」ということは決して悪いことじゃない。自分のできないことを「あきらめる」→「明らかにする」ということ。

もちろん出来るに越したことはないけれど、出来なければ、自分がそこでどう動けばいいのか、他の人にお願いしようとか他に出来ることがないか、いろいろと考えるでしょう。

それでいいんです。

人間は一人では生きていけないのでね。

という言葉が返ってきたのです。

頑固だといいことがない

つい「諦める」という言葉には「失敗」や「断念」の意味を感じてしまいがちですが、この言葉は「明らかにする」という意味を持っているのです。

この時のことは今もとても印象に残っていて、何かあるたびに思い出します。

自分が最大限にやってみて、それでもできないと「明らかに」なったときはもうなりふり構わず「お願いします!」と言えるようになりました。

それまでは「自分がやる」という事にとにかくこだわって、他の人を頼りにしようなんてあまり思わなかったのですよね。

「誰かにお願いする」ということができるようになってから、とっても心が楽になりました。

最後に

日々の生活の中で、何かを「明らかにする」ことは心軽く、楽に生きられることに繋がります。自分が出来ない事より、出来ることに目を向けられるようにもなります。

このお寺生活での数年間で、物事は考え方次第でいかようにもなるということを何度も何度も体験しました。

その後出会った「球体思考」という考え方もここに通じると思いますね。

お寺とお坊さん

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この記事を書いた人

薬剤師歴20年以上。本業の傍らで「ようこそ還元くんの世界へ。」という情報発信ブログとショップを運営しています。こちらの「別館」では還元くん・メビウスウォーター以外の情報発信を主に行っています。20代で慢性関節リウマチを発症し克服するまでに行ったことや考えたことなども含め、いろいろ発信しています。

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